桜満開!淀川勤労者厚生協会の新人研修を実施(4/3)

淀川勤労者厚生協会の新人研修を今年もあおぞら財団がお手伝いしました。
淀川勤労者厚生協会の運営する西淀病院、野里診療所、あおぞら薬局などは、地域の人々に頼りにされている医療機関です。そこで働く新人のみなさんに、西淀川のまちを知り、公害について学んでもらおうと、今年は午前中半日でフィールドワークと公害被害者のお話を聞くプログラムを組みました。

野里診療所の講義室で簡単に西淀川公害とフィールドワークの説明をしたら、さっそく屋外へ。
まずは歌島橋交差点にて道路公害の説明です。

説明をする後ろを、今日もトラックがビュンビュン走っています。
説明をする後ろを、今日もトラックがビュンビュン走っています。

参加者へ質問です。「ここでは空気中に含まれる最近話題の物質を計っていますが、さてなんでしょう?」の問いかけに、参加者からは「PM2.5!」とズバリ正解が。西淀川公害裁判の和解を受けて、全国で初めて、PM2.5の測定を始めたのがこの地点です。
それでは次の質問。「日本でPM2.5の環境基準は1年平均値15μg/m3。では歌島橋ではどれぐらいでしょう?」。「6!」「10?」正解は・・・24時間値で48.0μg/m3!(2012年調べ)。これには「えぇ!」という驚きの声が。PM2.5と言えば、最近の報道をみているとすべて中国から飛んできているような印象を受けますが、歌島橋交差点で続けてきた測定結果ではここ数年で急激に増えたなどということはありません。見た目では空気はきれいになったように思えますが、今も汚染は続いています。
そこから国道2号線沿いに南東へ。国道を外れて古い街並みに入ると途端に静かになります。何気なく歩いていると気づきませんが、国道沿いでの車の騒音を体感しました。
野里小学校前の掲示板には「この地域は、海抜およそ-1.1m」の表示と災害所避難所であるとの看板が。ここでは淀川勤労者厚生協会の松本さんから、よどの里は4階建てなので、町内会から地域の避難所にしてほしいとの申し入れがあったとの補足がありました。
今回のフィールドワークは、医療従事者のみなさんが対象ということで、いざ、災害が起こったら海抜の低い西淀川で何が起きるか、そのとき医療従事者に求められることはなにか、仕事につく前に想像してもらおうと、随所で問いかけました。

野里の住吉神社で質問。「今の淀川はいつできたでしょうか?」
野里の住吉神社で質問。「今の淀川はいつできたでしょうか?」

「野里の渡し」の石碑から柏里商店街入口までが旧中津川の川幅。歩いてみると結構あるように感じましたが、その後向かった今の淀川はやっぱり大きい!
かつては汚れてしまっていた淀川も、今は水質が改善されて、このあたりでとれるシジミは料亭に出すような立派なものがとれるそうです。

思ったより水がきれい!シジミと聞いて、足で穴を掘って探す人も・・・。
思ったより水がきれい!シジミと聞いて、足で穴を掘って探す人も・・・。
こんなに立派なシジミが!!
こんなに立派なシジミが!!

最後に桜咲く春の緑陰道路を味わって、フィールドワークは終了です。
約30人でまちを歩いていると「なにしてるんやろ?」と不思議そうにこちらを見ている人がチラホラ。そんな方に「西淀川の医療機関でこれから働かれるみなさんに、まちを知ってもらうための研修をしてるんですよ」とお伝えすると「それは大事やねぇ!」と嬉しそうに答えてくださいます。さらに毎年恒例だけあって、「西淀病院の新人研修やろ?」と嬉しそうに声をかけてくれる方もおられました。
次は、公害の詳しいお話です。

大阪人権博物館が制作された「西淀川公害を闘う」の映像をみて当時の様子や公害裁判について学んだ後、「西淀川公害患者と家族の会」の和田美頭子さんからお話を伺いました。

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和田さんは香川県高松市出身。1948(昭和23)年に西淀川に移り住んだ当時は、淀川には葦が茂り美しく、工場も少なかったそうです。それが昭和40年代半ばに入って咳き込むようになってきます。公害センターでの検査の結果、3級の公害患者として認定されました。

和田さんは公害患者として認定されたこと、「西淀川に住んでいる」ということに抵抗を感じるようになったそうです。西淀川が「どんなに汚いところか」と思われるように感じたからです。

ある日、診療所で咳き込んでいる子どもをみて「この病気になったのが、うちの子や孫でなくてよかった。よその子でも見ていてこんなに辛いのだから。これからの子どもたちにこんな思いをさせたくない」と思い、裁判に参加することを決意されました。

(当時の西淀川の様子はこちら http://www.aozora.or.jp/ecomuse/la_pollution/ )

田舎から訪ねて来られた甥御さんは、当時の西淀川の空気を吸って吐いてしまうような状況で、「高松へ帰ろう」と和田さんに言われたそうです。けれど、和田さんは帰りませんでした。「西淀川は第二のふるさと。私がどこかへ移っても公害はそのまま。西淀川がきれいな、住み良い町になってほしい」と思いを語られました。

裁判のお話、発作のつらさなど、様々なエピソードを語ってくださった和田さんは、「最近は私はひどい発作はないけれど、話もできないぐらいひどい症状に苦しんでいる人が今もたくさんいる」「西淀病院や野里診療所は安心して診療を受けられるところ。みなさん、頼りにしています」と、参加されたみなさんにエールを送り、話を終えられました。

参加者からは「小学校でも公害は習ったけれど、西淀川区でこんなことがあったとは初めて知った」「将来の私たちのことを考えて裁判してくれたことに感謝します」といった感想が出ました。

これから医療機関で働かれるみなさんがこの日の学びを活かして活躍されることを期待しています!

(栗本)

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