必携 西淀川公害 基礎資料 ウェブ版

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ウェブ版を利用するにあたって
紙の編集本『必携 西淀川公害 基礎資料』(書籍版)は、西淀川公害反対運動の最も内容豊富な、かつ根本的な基礎資料を厳選する。したがって、そこでは西淀川公害を理解するためのもっとも重要な資料がぎゅっと集約されて示される。
しかし、このような書籍版に選から洩れたとはいえ、最後まで採用候補として残された資料としての高い価値を簡単に無視することはできない。このウェブ版は、その思いを込めて作成されるものである。
ウェブ版においては、書籍版に収めた資料だけではなく、そこに収まり切れなかった資料も、そのすべてをスキャンし、原本を画像の形において提示する。閲覧される方は、スキャンされた画像を通して原資料に接近し、リアルに当時の状況を感じ取ることができるだろう。
※現在、第1章のみ資料公開中(2025年3月31日時点)。第2章以降の目次は今後変わる場合があります。
ウェブ版の利用にあたっての注意
1.新聞資料については、書籍版に掲載されているものについては、写真は掲載せず、翻刻文のみを掲載する。
ウェブ版では、関係個所を切り抜きスクラップしたものをスキャンして掲載した。
2.ここに提示された資料の二次的な利用をするときには「あおぞら財団付属 西淀川・公害と環境資料館(エコミューズ)編集の『必携 西淀川公害 基礎資料』(ウェブ版)を利用した」との文面を、成果物のなかに明示し、成果物を当館まで送ること。
「 西淀川公害 基礎資料 ウェブ版」を検索することが出来ます。
第1章 工業地域化する西淀川区 ―戦前・戦中から戦後復興期まで―
西淀川公害の裁判中、いや、裁判が始まる以前から、西淀川公害は古い都市型工業が背景にあって引き起こされた都市型公害である、といろんな人が、すなわち、原告側も、またのちに被告になる企業側も述べていた。
もちろん、それは間違っていない。大阪工業あるいは阪神工業地帯形成史といった観点から見れば、まさにその通りである。しかし、「古い都市型の工業化だったから、長い年数にわたって、知らず知らず、いつの間にか工業地帯となり、誰が主導したのかもあいまいなまま、西淀川区でも汚染に気付くことなく、たまたま気付いても、その汚染状況は当たり前として受入れて来た」と論じたとき、それは誤解の上に論を築く過ちとなるものであった。
農漁村地域だった西淀川区に限定すれば、本格的な工業地域化は、思っている以上に素早かった。19世紀後半から20世紀の20年代まで、一部例外的に早い工場立地もあったとはいえ、工業化の大波が襲い、区内においてその姿を整えるまでを見ると、1930年代から40年代前半までの10数年間、あるいは戦争被害を考えて、それが1950年代初め朝鮮戦争勃発後の特需景気とともに回復への過程を辿りはじめたとして、長くて20数年間とみてよい。この間に本格的な工業化は進行していたのである。ここではその様子を当時の写真記録から再現してみようと考える。
ただ、写真記録は、文字とは違って一見してその背景を理解させるものではない。ここでは、まずは、必要な書誌的情報を記し、続いて、基礎的知識に関する情報も付けておく。もちろん、写真から歴史を発見することは、本来は見る人が自発的にチャレンジすべき課題である。ただ、長年の間に消えていった知識も多いために、あえて記しておこうと思った次第。願わくは、写真を見つめる人によって編者の気付かない問題点の発見が続かんことを。
●は書籍版掲載、〇はウェブ版のみ掲載
〇 工場建築中 昭和4年7月
● 農地の広がる国道2号線沿いに立地した溝口歯車工場〔1929年〕
● 建築当初の溝口歯車工場内部〔1929年〕
●1950年の正月、着物を着て道の真ん中で家族写真
〇 川べりで工場の煙突を背景にした家族写真
〇 川べりの道に立つ少女
〇 西淀川における伝統的葬礼の写真
〇 淀川べりに座る和田氏のお子さん
〇 和田氏職場同僚の集合写真
● のんびり感満載、大野川の船着き場風景〔1955年〕
● 区画整理後中堅工場が軒を並べる御幣島地区〔1955年、上空から〕
〇 ジェーン台風被害写真43
● 高潮で現実化した地盤沈下の脅威―1950年9月ジェーン台風で水浸しとなった工場地帯
● 中心地区も水浸し
〇 千船駅前嵩上げ前1
〇 千船駅前嵩上げ前4
● 淀川河口部を襲う大規模工場からの煙の広がり〔1964年〕
● 大阪製鋼の排煙と西島川沿いの工場群〔1964年〕
● 煙濛々の尼崎の工場群〔1961年〕
● 関西電力尼崎第1発電所の操業風景〔1964年〕
●は書籍版掲載、〇はウェブ版のみ掲載
● 姫島地区での語りあい〔1980年3月16日実施〕
● 福地区での語りあい〔1980年4月29日実施〕
〇 聞き取り会の記録(御幣島)
第2章 「学校を苦しめる公害」への気付きと公害教育の展開 :1967年~1971年
戦後西淀川区内で最初に、慢性化した公害の問題を広い視野の上に立って取り上げ、調査と研究を進め、対策を模索していったのは、初等・中等教育の現場にいた教師たちであった。なかでも、1967年、異動で西淀中学校に赴任してきた荒木芳太郎校長は、校庭のイチョウの葉の異様なくすみを見、屋根にかかる雨どいのぼろぼろに腐食した様子などを知るにつけ、証拠となる物としてそれらを集め、また公害に関する新聞記事を切り抜き、区内小中学校の児童・生徒に対する深刻な加害の状況をしっかりと記録した。また、児童・生徒の健康を守り、彼らが公害と闘う力を身につけるため、学校での公害対策教育が必要なこと、そのためには関係する学校同士での協力を、大阪府はもちろん、全国の教育関係者に呼びかけている。もちろん、機会を見ては新聞記者などにも訴えた。
―西淀中学校校長が切り抜いた公害記事より―
●は書籍版掲載、〇はウェブ版のみ掲載
※新聞記事については画像を掲載せず、翻刻文のみ掲載予定。
●大阪新聞 1967年9月6日 よそごとでない大阪の空
●サンケイ新聞 1968年3月19日 新しい課題 学校公害
〇毎日新聞 1968年10月19日 公害 京阪神を覆う
〇新聞記事 1968年10月29日 大阪の大気汚染 緑に予想以上の大敵
〇朝日新聞大阪版 1968年11月29日 公害にはかない“自衛”
〇新聞記事 1968年12月22日 歯車 大気汚染とさび
新聞記事 1969年ヵ 惨さんたる公害状況
新聞記事 1970年1月ヵ 29日から受付け
新聞記事 時期不明 公害緩衝公園を 西淀川緑化委、市に要求"
〇読売新聞 1968年12月26日 損ずくめ大気汚染
〇新聞記事 1968年か 西淀川のスモッグ
●毎日新聞 1969年6月20日 空のない街 西大阪・ゼンソク地帯
〇朝日新聞 1969年6月27日 鉱石・硫酸使用量も 大阪市が総合調査
〇新聞記事 1969年11月25日 「住民の健康は守る」区民集会やっと納得
新聞記事 時期不明 これ以上まっぴら 汚染した大阪の空"
〇毎日新聞 1969年か 緑の団地 真っ赤なウソ
〇毎日新聞 1969年か ゼンソクに悩む子もう放置できぬ
●大阪市教組西大阪支部「『公害教育』の考え方」 1969年7月5日
〇大気汚染と健康 1970 (大阪市立川北小学校)
●大阪市教組西大阪支部福小分会「公害白書」 1970年10月
〇西淀川全保育所のアンケートの回答まとめ
●飯田素明「公害と道徳教育」 1970年頃か
〇公害 西淀川区の現況(公害病認定患者数のみ抜粋)
●大阪市立出来島小学校『昭和45年度 公害対策研究指定校研究発表紀要』〔抄〕
〇大阪市立淀中学校『昭和45年度 公害対策研究指定校研究発表紀要』〔抄〕
●大阪市立大和田小学校『昭和45年度 公害対策研究指定校研究発表紀要』〔抄〕
〇資料 公害(大気汚染)
第3章 公害源と対決し地域環境と被害者・家族のくらしの改善に挑む
〇中島水道・大野川緑地化推進委員会第1回会議メモ
〇中島水道・大野川緑地化推進を願う陳情書
〇1969年6月14日対市集団陳情への参加を要請
〇協力支援団体に送った声明書
〇緑地化推進についてお知らせ
〇緑地化推進委員会の役員名簿
〇阪北運河高速道路下市道の認定問題が勃発
〇市道第20・23号線認可の見通しとドブ河埋め立て促進を住民に報告
〇対市交渉で緑地帯の実現がほぼ確定
〇緑地帯化推進委員会、道路計画の再燃をもたらさないための協力を西淀川公害追放委員会に要請
〇緑地化推進委員会、全面緑地帯化の実現を祝福
〇永大石油鉱業公害事件
〇亜硫酸ガス(SO2)の増大と健康被害ガス
〇『西淀川から公害をなくす市民の会』加入のよびかけ
〇「西淀川区から公害をなくす市民の会」要求事項
〇「公害をなくす会ニュース 第9号」
〇[朝日新聞切抜]「公害追放へ 医師会が共闘~~」
〇「ご報告西淀川区外島地区の公害企業進出に関する私見」
〇毎日新聞「公害企業締出しへ 西淀川区中島・外島追放委員会が発足」
〇西淀川縦断パイプラインに対する区民の闘い ※未翻刻
〇検査技師田中千代恵の解説
〇院所別公害患者申請者数
〇西淀川公害患者と家族の会結成総会議案書
〇四日市裁判の判決にもとづいた損害賠償保障制度を創設せよ
〇「公害による健康被害損害賠償保障制度」中間報告に対する要求をもって上京
〇"一年の歩み"、役員名簿、各協力団体などの名刺
〇関西電力に対し、完全補償を要求しての運動について
〇健康回復事業委員会が発足
① 大阪製鋼との闘い
② 阪神高速道路・大阪西宮線建設中止運動
③ 工業専用地域指定反対運動
第4章 裁判提訴の検討
第1節 大気汚染公害の深刻さの認識から闘う課題の認識へ
第2節 提訴の決断
第5章 裁判の提訴
第1節 環境基準緩和・地域指定解除との闘い
第2節 裁判の提訴と継続に向けて
第3節 提訴を報じる新聞記事
第4節 第一回公判
第5節 証拠保全の申請
第6章 裁判の展開
第1節 裁判と論点の展開
第2節 裁判と公害被害患者会の人々
第3節 公害患者の生活
第4節 支援組織の立ち上げ
第5節 他地域・他訴訟との連携
第6節 海外への発信
第7章 裁判の判決と和解から公害地域の再生へ
