公害健康被害補償制度の見直しに対する反対運動

1.公害健康被害補償制度のなりたち

四日市公害裁判ではコンビナートを形成する複数企業の民事責任が問われました。これを受けて、公害指定地域を設定し、そこに立地する汚染原因者より徴収する賦課金によって公害健康被害を一括して補償する制度が求められるようになりました。そして昭和49年9月より公害健康被害補償法が施行されます。 公害健康被害補償制度で給付されるのは医療費に加えて障害補償費、遺族補償費等を含みます。旧救済法が医療費の給付のみであったのと異なります。公害指定地域には第一種、第二種指定地域があり、第一種地域は「大気汚染が生じ(SO2濃度が0.05ppm以上、自然有症率の2~3倍)、その影響による疾病が多発している地域」です。第一種地域では汚染者と疾病の因果関係を特定することが困難で、賦課金は汚染者全体で共同して負担することになります。いっぽう第二種地域は汚染原因物質と疾病の因果関係が明らかな地域であり、原因物質を排出する汚染者だけが賦課金を負担します。第一種地域は東京、大阪、名古屋、倉敷等の大気汚染公害地域、第二種地域は水俣病、イタイイタイ病等の発生地域が指定されました。補償給付費は第一種地域では汚染者賦課金が8割、汚染物質の移動発生源として自動車重量税の引き当て分が2割であり、第二種地域では汚染者賦課金10割で構成されます。

資料

環境庁企画調整局環境保健部監修・公害健康被害補償制度研究会編『公害健康被害補償の手引 昭和56年版』1981年 開架図書K103

公害健康被害補償の手引き 実務者向けに発行されている公害健康被害補償制度の手引書。救済制度の成り立ち、指定地域や暴露用件、企業による汚染負荷量賦課金の支払いなど、Q&A方式で説明されています。

2.環境基準の緩和とまきかえし

1978年、環境庁はNO2環境基準を平均濃度0.06~0.04ppmまで緩和しました。企業などは「公害は終わった」と主張してキャンペーンを実施し、公害健康被害補償制度の見直しに向けて働きかけました。日本経済団体連合会(以下経団連)はパンフレットの中で「大気汚染は改善されたのに認定患者が増え続けている」、「ぜんそくは公害病ではなく、喫煙、アレルギー、加齢、遺伝などによって起こる」と主張し、現状の大気環境と呼吸系疾患の因果関係を否定しています。指定地域を解除し、公害認定患者数を減らすための制度改革、喫煙者の患者の認定取り消し、またはたばこ消費税による費用負担、高齢の患者の認定見直しなどが検討されていました。 これに対して患者側は、窒素酸化物濃度は依然として改善されておらず、大気汚染がぜんそくなど呼吸疾患の原因の一つであることは疑いないとして反論しています。そして汚染原因者負担の原則の徹底を訴え、公害健康被害補償制度の拡充と78年以前のNO2環境基準の復活を訴えました。

資料

経済団体連合会『青空が帰ってきたのに・・・ 公害健康被害補償制度を考える』1979年 永野千代子氏資料No.511

経済団体連合会『公害健康被害補償制度を考える 大気汚染が改善されたなかで』 田中千代恵氏資料No.15枝番14

主な論点は「大気汚染は改善されているのに、認定患者は増え続けている」、「ぜんそくは昔からある病気」、「室内暖房とタバコのNO2汚染」などです。

大阪から公害をなくす会・大阪公害患者の会連合会『公害被害認定患者切り捨てキャンペーンを斬る』1980年 開架図書 K701

経団連の発行したパンフレット『公害健康被害補償制度を考える』に対する反論パンフレットで、経団連の主張の要点に対する患者側の反論が述べられています。

3.第二次臨時行政調査会

「増税なき財政再建」をスローガンに1981年から第二次臨時行政調査会(以下臨調)が開かれ、行財政改革の検討が始まりました。こうした流れの中で、公害健康被害保障制度の賦課金の大きさが問題となりました。 1982年12月、臨調第三部会の審議で公害健康被害補償制度の見直しが検討されました。第三部会報告素案には、「硫黄酸化物による大気汚染が改善されている状況にかんがみ、科学的見地からの検討を進め、地域指定及び解除の要件を見直す」こと、さらに「療養の給付の適正化を図る」ことが盛り込まれています。 これに対して全国公害患者の会連合会は臨調への申し入れ、要請ハガキの送付、環境庁、国会、自治体への要請などの反対運動を行ないました。1月10日の決起集会には600人が集まりました。 1983年1月10日の第三部会報告では、「硫黄酸化物の濃度は低下したものの、窒素酸化物の濃度はほぼ横ばいにある」という認識が加えられ、「地域指定及び解除の要件を見直す」という表現が「地域指定及び解除の要件の明確化」に改められるなどの配慮がされました。 3月14日の最終答申では公害健康被害補償制度は「民事責任を踏まえ」た制度であるという認識が示され、さらに「大気汚染の原因者が公害発生の防除に一層努めるべきことはもちろんであるが、今後とも制度を維持しつつ」という一文が加えられました。しかし制度の見直しをはかるという点は最後まで維持されることになりました。

資料

全国公害患者の会連合会『臨調にたいする公害患者のたたかい』1983年 開架図書K701

1982年12月から翌年3月まで行われた臨調に対する反対運動についてまとめられています。活動した日付、人数、送付したハガキの枚数など、詳細な情報があります。巻末資料として、送付した直訴状や配布したビラ、当時の新聞記事など。 『臨調にたいする公害患者のたたかい』

4.公害健康被害補償制度の見直しと指定地域解除

臨調による答申を受け、環境庁は補償制度見直しについて中央公害対策審議会(以下、中公審)に11月12日に諮問を行いました。その諮問の主旨は、環境庁による近年の大気汚染状況の変化に関する調査データを報告し、これを踏まえて大気汚染物質と健康被害との関連性を評価し、第一種地域指定解除の要件を検討する、というものです。公害患者側はこの間環境庁と交渉を行っています。1984年1月11日の交渉では、中公審の委員が加害企業、財界側の代表で占められていること、これに対して患者側の代表を加えることを要求しました。患者側代表の意見を聞く場をもうけること、患者側の提出する意見、データを含めて討議すること、審議の経過を国民に広く公表すること等を求めました。3月5日に中公審環境保健部会が開催されると、公害患者の意見聴取が行なわれ、被害の実態を訴えました。さらに7月30日には環境庁環境保健部の提出した資料では討議に不十分であるとして、同庁大気保全局による資料の提出を求めています。 10月1日、環境庁と経団連との定期懇談会が開催されました。環境アセスメント法案の国会通過が難しいなか、環境庁は企業側への歩み寄りを図ります。12月には公害認定患者の喫煙調査の結果を環境保健部会に提出し、禁煙指導について自治体に通達しました。 1986年4月8日、環境保健部会専門委員会は「大気汚染と健康被害との関係の評価等に関する報告」を発表しました。その内容は、「現在の大気汚染が総体として慢性閉塞性肺疾患の自然史に何らかの影響を及ぼしている可能性は否定できない」とし、幹線道路沿いの局地的汚染に注意を喚起するなど、指定地域解除の方向性については消極的な報告となりました。中公審への諮問開始からすでに2年5ヶ月が経過していたましたが、この間患者側は37回の中央行動、公害総行動などを通して公害健康被害補償制度の維持および拡充を訴えています。 審議は環境保健部会の作業小委員会へと移り、最終的な答申を作成することになります。環境保健部会の委員は答申開始からすでに24人中14人が交代されており、政治的な意味合いの強い審議会となっていました。10月30日、中公審は4月8日に行なった専門委員会の答申内容から大きくはずれ、全国41ヶ所の公害指定地域を全面解除する答申を発表しました。患者側は補償法改正法の廃案に向け、国会審議の場での訴えを行なうこととなります。公害指定地域解除阻止と、同時に行なわれている大気汚染訴訟の共闘組織として大気汚染公害裁判原告団弁護団全国連絡会議(大気汚染全国連)が結成されました。 8月31日に補償法改正案が審議入りし、国会傍聴と泊りがけの抗議活動を展開しました。9月2日の参議院環境特別委員会では、改正反対議員らが中公審議事録の提出を要求し、審議が一時中断するなどしました。 9月4日の参考人質問では全国公害患者の会連合会の神戸事務局長が発言し、9月7日には患者側の要請で参院環境特別委員会の議員らが板橋・大和町陸橋の汚染状況を現地視察しました。9月8日、中公審会議録の提出を国政調査権に基づいて要求したが、9日には環境庁がこれを拒否し、審議が中断しました。9月16日、自民党議員らは委員会で強行採決に踏み切りましたが、三度中断します。そして9月18日、患者らが傍聴する中、参議院で自民党、民社党議員らにより強行採決されました。こうして臨調答申による公害指定地域解除がついに実施されることになり、患者らの運動は千葉川鉄、川崎、西淀川など一連の大気汚染訴訟へとシフトしていくことになります。

資料

上田敏幸氏資料 B4ファイル「事務局だより」

全国公害患者の会連合会の「事務局だより」を1981年から1991年までファイルした資料。1981年5月に全国公害患者の会連合会が発足し、1983年から始まる第二次臨時行政調査会、それに続く中央公害審議会諮問と公害健康被害補償法の改正までが詳しく書かれています。患者側の反対運動の経緯を追うことができ、その時々の政治状況を見極めて運動を推進していたことが伺えます。