西淀川地域における工業専用地域指定反対運動

大阪市は1977(昭和52)年11月に、工場以外の建物の新築を認めない「工業専用地域」を3倍に拡大する計画案をまとめました。 当時、土地の安い工業地帯の宅地開発が活発になっており、大阪市は工業地帯に住民が増えると、他の工場も移転してしまい、大阪経済の地盤沈下が起こってしまうと危機感をもちました。そこで、大阪市は工業専用地域を指定することで、工場の流出をくいとめようとします。 しかし、工業専用地域に指定される住民は黙っていませんでした。陳情書や署名を集めて反対の意思を表明したり、集会を行うといった反対運動を繰り広げました。 ここでは、西淀川区と住之江区の反対運動の様子を紹介します。 資料紹介 1.「工業専用地域の指定について」 2.陳情書 3.工業専用地域の再検討をもとめる区民集会 ビラ 4.西淀川公害患者と家族の会第7回総会議案書 5.工業専用地域の再検討を要求する住之江連絡会 ビラ 1.「工業専用地域の指定について」 作成者:大阪市総合計画局都市計画部都市計画課地域係 年月日:1977年 サイズ:B5一紙2枚 出所と資料番号:三村浩史氏資料No.13 この資料は、大阪市総合計画局が発行したパンフレットで、工業専用地域を拡大しなければならない大阪市の立場について書かれたものです。  工業専用地域とは

都市計画法で定められている用途地域の一つで「工業の利便を増進するために定める」地域で、工業団地・埋立地等工業用地として計画的に開発された区域や、住宅の混在による公害の問題を防止しつつ、積極的に工業地として整備を図るべき区域に指定されます。工業専用地域の中では、どんな種類の工場でも建てられますが、工業の利便をそこなうおそれのある建物、たとえは、学校・病院・ホテルをはじめ、工業地域では認められる住宅・店舗・娯楽施設などもこの地域では建てることができません。

と、工場しか建てられない地域です。 大阪市が工業専用地域を拡大する理由として、

数年来、工場の再配置の措置、企業活動の拡張のための移転や、経済情勢の変化等により、大阪市内から工場の移転動向が活発になりその跡地が住宅などに転換していくという事が起こっております。ところが最近になり、従来から工業専用的な土地利用であったところにまで工場の跡地やその他の空き地にマンションや建売住宅が建設されるという事態が現実に生じつつあります。このような工業地への住宅の進出は、工場及び住宅双方の環境にとって好ましくなく、工業専用地域を拡大することにより新たな住工混在地の出現を未然に防止する必要があります。

住工混在を防止するためとしています。 しかし、大正区民にむけて大阪市総合計画局北田局長が説明した談話には、

もしこの大阪から職場がなくなれば、大阪に住む勤労者の大半は大阪を去ってゆくに違いありません。それは商工業の町大阪の衰退を意味するものであります。大阪がこれからも商工業の町として繁栄してゆくためには、色々な職場とともに、ある程度の工場をおくことも必要なのであります。(三村浩史氏資料No.29)

と、工場の流出をくい止め、新たに工場を呼び込む意図もありました。 2.陳情書 作成者:大阪市西淀川区佃四丁目振興町会長、大阪市西淀川区佃四丁目日赤奉仕団団長金谷徳男 年月日:1977年12月8日 サイズ:B5一紙5枚 出所と資料番号:金谷徳男氏資料No.1 西淀川区では、公害専用地域指定計画案の中に、佃4.5.6.7丁目、姫島3丁目、福1.3丁目、御幣島1.5丁目、竹島1.2.3.4.5丁目という、区内の40%の地域が含まれました。 西淀川公害患者と家族の会『第7回総会議案書』(1978/10、あおぞら財団5階資料室所蔵)によると、大阪市の工業専用地域拡大の計画は

区民の意見を全く聞かず秘かに計画されていたもので西淀川区では(注:1977年)11月22日佃第4地域振興会から説明を要求され、はじめて住民に明らかにされました。

と、佃4丁目の住民が計画に気が付いて説明を求めたことから、はじめて計画が明らかにされました。 佃住民の活動は、「工業専用地域指定計画案再検討を要求して各地でとりくみ」と題されたビラ(三村浩史氏資料No.23)に、

佃町では、この計画を聞いてみんなびっくり。4丁目町会長の金谷さんを先頭に、再検討を要求する運動が盛り上がっています。昨年12月3日、佃幼稚園で市当局を呼んで説明会を開かせました。ところがその内容を聞いて怒りふっとう。さっそく本会などをもち、市に対する陳情を行ってきています。また、署名、ポスターはりなども盛んです。

と、反対運動に活発に取り組む様子が書かれています。 この資料は、佃四丁目の陳情書です。

・道路一つへだてて、住宅地域と、工業専用地域とに分けているが、これでは公害がなくなり純化されたとはいえない。むしろ工業の利便中心の工場の導入、跡地利用のため公害が激化する。 ・佃4丁目には住宅と工場があるが、古い家屋の人も、新しい建売分譲を買った人も、アパートの人も、皆んな無保証で立ち退いていく運命にさらされ、不安と心配で夜も眠れない。居住権、環境権、財産権の侵害である。

などと、計画に反対する理由について書かれています。 3.工業専用地域の再検討をもとめる区民集会 ビラ 作成者:工業専用地域の再検討を求める区民連絡会(西淀川公害患者と家族の会、大阪市教職員組合西大阪支部、大阪市職西淀川区役所支部、西淀川区医師会) 年月日:1978年2月25日 サイズ:B4一紙1枚 出所と資料番号:三村浩史氏資料No.22 西淀川区では、佃4丁目の住民以外の住民も工業専用地域指定に反対しました。 西淀川公害患者と家族の会・大阪市教職員組合西大阪支部・大阪市職西淀川区役所支部・西淀川区医師会の4団体がよびかけて「工業専用地域の再検討をもとめる区民連絡会」を結成し、この連絡会が中心となって1978年3月2日に区民集会が開かれました。この資料は、区民集会の要旨を告知しているビラです。 工業専用地域指定を反対する理由は

西淀川区では、五〇〇ヘクタールをこえる面積で区内の四〇%をしめる区域が工業専用地域に指定されようとしています。また、西淀川区は道路面積も多くこれを合わせると区内の半分近い面積が環境庁の示す環境基準の適用外地域になります。したがって、「工業の利便を増進するために定める」この工業専用地域では、大気汚染はもとより、騒音、振動、悪臭などは野放しに近い状態になるおそれがあります。

といった、公害増加を阻止したいというものから、

この工業専用地域では、工業の利便性をそこなうおそれの建物(学校・病院等)は建てられませんし、住宅なども建てられなくなります。このような住民追い出し案に対し、区民のなかから怒りの声がつぎつぎに集まってきています。

という、建物規制に関する不満がありました。また、西淀川区には、西淀川区の特有の反対理由がありました。

全国有数の公害地域として永年苦しめられ、いまだに公害認定患者が増える一方の西淀川区民の不安はつのるばかりです。やっととり戻しつつある「青空」や「緑」がまた元の状態にかえるのはもうゴメンです。(三村浩史氏資料No.30「工業専用地域指定の再検討を求める三・二区民集会決議(案)」)

西淀川区には公害に苦しめられてきた歴史がありました。その中でも、公害企業だった田中電機の跡地に区民ホールを建てさせ、悪臭の大野川を緑陰道路にするなど、環境をよくしようと住民は努力してきました。その区民ホールが、工業専用地域になるという事態がこの都市計画案で生じました。「元の状態にかえるのはもうゴメン」という思いが反対運動を動かしていたのです。 4.西淀川公害患者と家族の会第7回総会議案書 作成者:西淀川公害患者と家族の会 年月日:1978年10月29日 サイズ:B5冊子 出所と資料番号:5階閲覧資料 この資料は、西淀川公害患者と家族の会(以下、患者会)の総会議案書です。患者会は工業専用地域指定に反対した団体の一つです。この資料には、西淀川区の反対運動の様子と顛末について書かれています。

署名活動は、2月27,28日千舟、姫島、出来島駅で行ったのをはじめ各地域でとりくみ署名6.000名を連絡会に集結しました。西淀川全体では、22.000名の署名が集められ3月28日西淀川区選出の3市会議員を通じて大阪市に提出しました。 この運動は、地域振興会、労働組合、民主団体、医師会、薬剤師会なども参加した大運動で、大阪市に提出された陳情書も10数団体にのぼっています。

反対運動に参加した人や団体の多さが、この資料からわかります。 陳情書は、2で説明した佃四丁目のものの他に、西淀川区医師会の陳情書(三村浩史氏資料No.37)、西淀川健康と生活を守る会の陳情書(同 No.38)、淀川勤労者厚生協会の陳情書(同No.39)、西淀川公害患者と家族の会の陳情書(同No.41)、竹島各種団体連絡会の陳情書(同 No.42)、佃連合振興町会の陳情書(同No.43)の6点は、あおぞら財団で見ることができます。

大阪市は、3月17日「佃地域については再検討する」3月23日には「計画の10分の1の50ヘクタールを減らす」などと小刻みに運動の分断をねらいとした回答をしてきましたが、住民の団結によって3月31日ついに虫くい状の内陸部全部をはずし、湾岸部の外島と矢倉町の範囲にしぼることを西淀川区選出の3市会議員に回答しました。

このように反対運動の結果、工業専用地域内の住民の99%は、工業専用地域に指定されないことになりました。 5.工業専用地域の再検討を要求する住之江連絡会 ビラ 作成者:工業専用地域の再検討を要求する住之江連絡会(総評全国金属・国光製鋼支部、総評全国金属・野村製作所支部、総評運輸一般・芦原運送分会、新日本婦人の会・住之江支部、木津川厚生会・加賀屋診療所、住之江・住吉生活と健康を守る会、住之江民主商工会、藤永田興産労働組合) 年月日:1978年 サイズ:B4一紙1枚 出所と資料番号:三村浩史氏資料No.7 住之江区では区の32%が工業専用地域に指定されるということで、西淀川区と同じく反対運動がおきました。この資料は、その反対運動のビラになります。

大阪市は西淀川区で一部修正はしたものの、住之江区では住民の説明無しで大阪市にとって都合の悪い市営住宅部分のみをはずすと云った小手先の手直しをしただけで、案を市の計画土木委員会に提出し、四月四日の委員会では、共産党議員の意見をも無視し、自民・公明・民社・社会の四党で住之江区の陳情書を不採用としました。

住之江区でも、町会や商店街、PTA、各種団体が陳情書を提出したり、署名を集めたりして反対の意思を表明しましたが、西淀川区と違って、地域指定を解除することはできませんでした。

七月十日大阪府都市計画審議会は、大阪市が提出した「用途地域変更案」を審議しましたが、六千名にのぼる住之江区民の意見書をはじめ、「再検討を求める連絡会」加盟団体の代表ら百五十名が陳情するなかで、同審議会は異例の「住民代表の意見を聞く」措置をとりながらも、「計画案」は賛成多数で可決されました。しかし、この運動で終結された住民のエネルギーを背景に審議会では共産党の山地府議や庄司光京都大学名誉教授が奮闘して異例の「付帯意見」をつけさせ、また審議会参加の全府会議員も、大阪市に対して厳重申し入れするなどの成果を納めました。(三村浩史氏資料No.21)

指定解除はできませんでしたが、付帯意見を得ることになりました。